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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第33主日

《A年》
 103 しあわせな人(2)
 【解説】
 一連の答唱句はここで歌われる詩編128の1節から取られています。この詩編128は「都に上る歌」すなわち巡
礼の詩編の一つで、家庭のしあわせを歌った、幸福と祝福の詩編です。5節と6節は祝福を与える祈りで、この詩編
が何らかの形で、神殿の礼拝で歌われたことを暗示していると言えるでしょう。また、5節に「シオンから」とあること
から、会衆礼拝で用いられたとの解釈もあります。前の詩編127が、外敵から家を守る子供たちをたたえているのに
対し、この詩編128は、家庭の平和と幸福を祝福し、両者が対になっていることもわかります。このように、家庭生活
におけるしあわせを歌うことから、教会では、よく、結婚式の答唱詩編として用いられています。
 答唱句は八分の六拍子で滑らかに歌われます。2小節目は和音が4の和音から、後半、二の7の和音に変わりま
すが、これによって祈りを次の小節へと続けさせることを意識させています。続く「かみを」では旋律で最高音C(ド)と
4の和音を用い、次の「おそれ」ではバスにその最高音H(シ)が使われ、「神をおそれ」では、旋律が6度下降して
(それによって母音の重複も防がれています)、前半の主題を強調しています。7小節目後半の3つの八分音符の連
続は、最終小節に向かって上行音階進行しており、終止の rit. を効果的に導いています。
 この答唱句は、C-dur(ハ長調)の主和音ではなく、五の和音で終わっています。これによって、祈りを詩編唱に
つなげる役割もありますが、この曲はいわゆる長調ではなく、教会旋法に近い形で書かれていることがわかります。
G(ソ)を終止音とする教会旋法は第8旋法ですが、その音階は、D(レ)からd(レ)なので、この曲には該当しませ
ん。他にも、36~40「神のいつくしみを」、130~135「主をたたえよう」などがこれにあたります。これらから考える
と、この旋法は、教会旋法を基礎に、作曲者が独自の手法とした旋法であり、「高田の教会旋法」と名づけることが
出来るでしょう。
 詩編唱も、答唱句と同様の和音構成・進行ですが、3小節目だけ、冒頭の和音は答唱句で経過的に使われている
二の7の和音となっていて、3小節目の詩編唱を特に意識させるものとしています。
【祈りの注意】
 答唱句で特に注意したいことは、だらだらと歌わないことです。だらだらと歌うとこの答唱句のことばがまったく生か
されなくなってしまいます。そのためにはいくつかの注意があります。

1=八分の六拍子は、八分音符を一拍ではなく、付点四分音符を一拍として数えること。
2=先へ先へと流れるように歌うこと
3=「しあわせなひと」の「わ」をやや早めに歌うこと
次の「せなひ」の三つのことばの八分音符で加速をつけるようにすること

の四点です。また2については、1・3・5・7各小節の前のアウフタクトのアルシスを十分に生かすことにつながるのも
忘れてはならないでしょう。このようにすることで、祈りが自然に流れ出てゆき、答唱句のことば「主の道を歩む」「しあ
わせ」が、豊かに表現できるのです。
 前半の終わり「おそれ」では、やや、わからない程度に rit.するとよいかもしれません。答唱句の終わりは、歩みが
確固としたものとして、ただし、主の前を静々と歩むように、十分に rit. して、滑らかに終えましょう。
 詩編唱は、第一朗読が特に黙想されます。「箴言」が語る「有能な妻」が詩編唱の1節、その妻がもたらす家庭の
「しあわせ」が2節で歌われます。
 なお、一つ技術的なことですが、詩編唱の2節の1小節目は、最初が「オリーブの」と5拍節しかなく、音が変わると
7拍節あります。このような時は、最初の「オリーブの」をやや遅めに歌いだし、「わか」に入ったらテンポをやや早め
にしますが、「木の」でまたすぐに rit. すると、全体のバランスがよく取れます。
 最後に、いつも書いていることですが、詩編唱の2小節目以外、音が変わる前で、間を置いたり、延ばしたりは絶対
してはいけないことです。1小節が滑らかに歌われ、祈られるようにしてください。
【オルガン】
 前奏のときに気をつけなければならないことは、祈りの注意で書いた四つの注意点です。まず、前奏のときにこれ
がきちんと提示されないと、会衆の祈りは、活気のない、だらだらしたものになってしまいます。オルガニスト自身が、
ここで歌われている「しあわせな人」になっていなければ、よい前奏、よい伴奏はできないのかもしれません。ストップ
は、フルート系のストップ、8’+4’で、明るい音色のものを用いるとよいでしょう。最後の答唱句は、うるさくならなけ
れば、弱いプリンチパル系のものを入れてもよいかもしれません。

《B年》
 98 しあわせな人
【解説】
 詩編16は、元来、カナンからイスラエルに移り住んだ人が、改宗して行った、信仰告白と思われます。詩編作者
は、主である神との一致は、死よりも強いと感じ、まことの神との一致にこそ、しあわせと永遠のいのちがあると確信
した美しい歌です。死に打ち勝ち、復活したキリストの父との一致こそ、この、永遠のいのちをもたらすものに他なりま
せん。それゆえ、使徒たちは、この詩編を、詩編118(87「きょうこそ神が造られた日」)と同様に、キリストの復活の
あかし・預言として用いました(使徒2:21-33参照)。
 答唱句は、冒頭から、5小節目の「喜びに」までは、八分音符の細かい動きと、四分音符+付点四分音符と八分音
符(2小節目のバスとアルト、4小節目のテノールとアルト)のリズムで、神の豊かな恵みを受ける人の、しあわせな
こころの喜びを、活き活きと表現しています。最後の3小節は、付点二分音符や二分音符という、長い音価の音符を
使って、この恵みに生きる安心感が表されています。さらに、「喜びに」では、旋律で、最高音のE(ミ)が用いられて、
ことばが強調されます。
 詩編唱は、最終音の2度上(一音上)のH(シ)から始まり、歌い始めやすくなっています。そして、次第に下降し、E
(ミ)に至りますが、この音は、答唱句の冒頭の音と同じです。なお、詩編唱の最後の和音は、E(ミ)-Gis(ソ)-H
(シ)ですが、これは、和音の位置こそ違いますが、答唱句の最初の和音と同じです。ちなみに、この曲はA-Dur(イ
長調)ですが、この和音は、主和音ではなく、五度の和音です。答唱句が、主和音ではなく、五度の和音から始める
ことで、次の「しあわせな」に向かう、勢いを付けているのです。
【祈りの注意】
 上にも書いたように、冒頭は、勢いを付けて歌われ始めます。最初の「し」は、マルカート気味で歌います。冒頭の
速度指定は、四分音符=112くらいとなっていますが、最初は、これよりもかなり早いテンポで歌い始めます。そう
でないと、答唱句の活き活きとした感じを出すことができません。この、速度は、答唱句の終わりの rit. したテンポと
考えてよいと思います。付点四分音符や四分音符の後の八分音符、すなわち「しあわせ」や「しあわせな」、「かみ
の」、「そのよろこび」が遅くなると、どんどんテンポが落ちてゆきますので、注意しましょう。なお、続く、連続する八分
音符もきびきびと歌ってください。
 「ひと」や「受け」といった、旋律が付点二分音符で音を延ばしているところは、しっかりと音を延ばし、一瞬で息継ぎ
をして、次の四分音符を歌うようにします。旋律で音が延びている間に、「ひと」では、バスとアルトが、「受け」では、
テノールとアルトが遅れてこのことばを歌います。ここでしっかりと延ばすことで、ひとまとまりの文章である、答唱句
がひとつの祈りとして継続されますが、早く音が切れると、この祈りが続かなくなります。答唱句の後半は「喜びに」
から、徐々に rit. して終わりますが、いつ、rit. が始まったか分からないようにできれば、最高です。一番最後の答
唱句(歌い終わり)は、さらに、ていねいに rit. しましょう。
 ところで、この答唱句で歌われる、「しあわせな人」とは、だれでしょうか?実は、この答唱句を歌う、わたしたち、一
人ひとりがしあわせな人なのです。わたしたち一人ひとりが「神の恵みを受け、その喜びに生き」ているのでなけれ
ば、この答唱句が活き活きと歌われないのではないでしょうか?
 詩編唱は、1から3節が歌われます。まず、技術的な注意ですが、答唱句が小気味よいテンポで歌われますから、
詩編唱も、早めに歌いましょう。といっても、あわてて歌うのではないことは言うまでもありません。1節の1小節目と、
2節の2小節目は、少し歌詞が長いので、「ゆずり」と「おられ」の後で息継ぎをします。息継ぎをするときは、その、少
し前に、やや、rit. して、一瞬で息継ぎをし、再び、元のテンポに戻して歌います。
 最後になりますが、この詩編は、第一朗読と福音朗読で語られる、世の終わり=神の国の完成の時、を受けて歌
われます。世の終わりというと、悲観的な感じがしますが、キリスト者にとっては、それは、神の国が完成するときで
あり、まさに、待望のときであり、約束された永遠のいのちに入るときなのです。そのときを待ち望みながら、この詩
編を味わいたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばやテンポを考えると、人数にもよりますが、フルート系の明るいストップを用いるとよいでしょうか、プ
リンチパル系を入れることも可能ですが、あまり、派手にならないようにしましょう。とは言え、弱すぎて、会衆の答唱
句が活き活きしないようでも困ります。また、前奏がきびきびとしていないと、会衆もだらだらと答唱句を歌いだすこと
になりますから、あまり早すぎるのも困りますが、実際に歌うより、いくぶん早めに前奏をとることが必要かもしれませ
ん。祈りの注意の最後にも書いたように、終末=神の国の完成は、永遠のいのち=復活のいのちに入るときです。
その意味で、復活徹夜祭の第二朗読のあとの答唱詩編でも、これが黙想されることを、想い起こすことは、オルガン
の祈りの助けにもなると思います。

《C年》
 149 遠く地の果てまで
【解説】
 今日のミサで歌われる詩編98は、前の二つの詩編96、97とともに、王である神(主)をたたえ、イスラエルだけで
はなく、すべての民・すべての国がその到来を待ち望むことが述べられ、《第二イザヤ》とも表現や思想が共通するこ
となど、非常に似た内容となっています。この詩編98は詩編96に似ています。また、有名なマリアの歌「マグニフィ
カト」も、この詩編から取られたと思われるところがあります(詩編の2節や3節など)。
 答唱句は、作曲者が「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で、旋律が始まり、これによって、「遠く
地の果てまで」という空間的・地理的広がりと、そこに救いがもたらされるまでの時間的経過が表されています。「す
べてのものが」では、バスが半音階で上行し、それに伴って和音も変化し、さらに、「ものが」で、旋律が再び6度跳
躍し、「すべてのもの」という、量的数的多さが暗示されています。「かみの」では、旋律が最高音になり、旋律とバス
も2オクターヴ+3度に開き、王である神の偉大さが示されます。「すくいを」は、旋律が最低音(ミサの式次第のそれ
と同じ)となり、救いが地に訪れた様子が伺われます。「すくいを見た」では、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いる
ことで、答唱句をていねいにおさめるとともに、ことばを意識することにもなっています。
 詩編唱は、主音F(ファ)から始まり、上下に2度動くだけですが、1小節目では終止の部分で音が動き、ことばを強
調します。4小節目は属調のC-Dur(ハ長調)に転調しことばを豊かに表現するとともに、そのまま答唱句の冒頭へと
つなぐ役割も持っています。
【祈りの注意】
 答唱句は、解説でも述べた、「時間と空間を超越した表現」として用いる6度の跳躍で始まりますから、この「遠く地
の果てまで」という表現にふさわしく、祈りの声を表現しましょう。今日と先週の第一朗読では、救いがユダヤ人だけ
ではなく、異邦人=すべての民にまで及ぶことが述べられています。ユダヤから見れば、この日本はまさに遠い地の
果てです。この日本にキリストによる救いがもたらされるまで、二千年近い時間もかかりました。しかし、わたしたちは
確かにキリストによる神の救いを見て、それを信じているのです。この確信を込めて、答唱句を歌い始めましょう。そ
のために「果てまで」の付点四分音符は十分にのばし、その後一瞬で息継ぎをします。「すべてのものが」は、やや
早目にすると、臨場感があふれます。最後の「が」は、その前の「の」にそっとつけるように歌うと、ことばが生きてき
ます。決して「ものがー」と歌ってはいけません。「かみ」はアルシスの飛躍を生かします。最後の「救いを見た」は解
説でも書いたとおり、アルトに臨時記号〔Des(レ♭)〕を用いることで、答唱句をていねいにおさめるようになっていま
すから、決してぞんざいにならないように、まことに、わたしたち一人ひとりが「神の救いを見た」という確信を込めたい
ものです。
 詩編唱で歌われる「新しい歌」とは、新しく作られた歌というよりも、救いの体験によって新たに意味づけされた歌で
す。今日、黙想される詩編唱は、すべて、キリストの過越という、神の不思議なわざによって、全く新しい意味を持つ
ようにされました。特に、わたしたちは、キリストの死と復活に結ばれる洗礼によって、すべてが新たにされていま
す。この、新しいいのちの喜びを、この詩編に込めて歌いたいものです。また、最初にも書いたように、聖母マリア
は、この詩編をはじめ、旧約聖書をもとにして「マグニフィカト」を歌われました。つまり、聖母マリアは、旧約聖書を暗
記しておられたのです。わたしたちも、マリア様のこのような熱心さに倣いたいものです。
 終末、第33主日の第一朗読と福音朗読は、まさに終わりの日についてが語られます。特に、福音朗読では「わた
しの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」(ルカ21:17)とまで言われています。しかし、「どんな反対
者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたし(キリスト)が授け」てくださり、「髪の毛の一本も決してなく
ならない」のですから、わたしたちは安心していることができるのです。今日の詩編は、福音にあるようなときを忍耐
し、完成された神の国において、わたしたちが喜び歌う、賛美の歌ということができるでしょう。今日の詩編を味わうこ
とは、神の国の完成にすでにあずかる喜びを与えられたことに他ならないのです。
【オルガン】
 基本的なフルート系の8’+4’を用いましょう。あまり、派手な音色やピッチの高いストップを最初から入れると、黙
想の妨げになりますから、気をつけたいものです。前奏の時も、旋律では「すべてのものが*かみーの」の八分休符
と「か」のアルシスを良く生かしてください。また、「すべてのものが」も、歌うのと同じように、やや accel. すると、会
衆も、だんだんと歌えるようになるでしょう。手鍵盤だけで、弾く場合、半音が続くバスや、最後の小節は、持ち替え
や指を滑らすなど、運指に工夫をしましょう。




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